再び妊娠..

長女を産んでしばらくして、気分が優れない日が
度々ある為、診察を受けると、妊娠が判明

なんだか、恥ずかしい気持ちでしたが…
折目さんに報告すると、
「良かった!良かった!俺は一人っ子やけ、
早く二人、三人欲しかった。良かったね!」
と、喜んでくれました。 

私は有里の育児に幸せを感じながら、大きくなる
お腹をさすりつ、厚い幸せを感じる日々でした。

生理もないままに妊娠した為、出産予定日が判明せず、
赤ちゃんの頭の大きさから翌年の1月15日位だろう。
とのお医者さまの予測でした。
ところが、その年の12月23日に、何んとなく胃が痛くなり、
だんだんお腹がキューっと張るようになりました。

予定日は来年なのに変だなと思い、大牟田の姉に相談すると、
「陣痛だからすぐに病院へ連絡して行きなさい!」
とのアドバイス!
病院へ連絡すると、出産準備をして来るように言われ、
慌てて実家の母と折目さんのお母さまにも電話連絡をして、
来て貰うことに。
私は有里を抱き荷物を持ち、一路病院へ

病院の公衆電話から折目さんに連絡をしましたが、
営業で外出中だった為、事情を伝言でお願いしました。

病室では、軽い陣痛が繰り返し繰り返しくるだけでした。
看護婦さんは
「明日位かな?がんばってね!」
と、とても優しく穏やかに接してくれました。

『明日なら有里の誕生日の12月25日に1日足りない
丸1才も離れていない年子を産むのかなぁ?』
などと、独り思いを巡らせたことを思い出します。

有里と2人で横になっていると、折目さんのお母さまが
駈けつけて下さり、
「せっちゃん、大丈夫?」
と、心配そうな顔で私の手を握ってくれました。
とっても、心強かったです。

夕方まで会話を交わしたり、義母は有里を抱っこし、
歌を歌ったりして、私から離す為に一生懸命に
あやしてくれました。

「この指パパ♪太っちょパパ♪ヤーヤー♪お話する♪…」
5本の指を使い上手にあやす義母の声をベットで
聴いていた私です。
そして、ご機嫌のよくなった有里を連れ、病室から
出て行かれました。

有里と離れて、不安になりつつも軽い陣痛の波に
耐えていると、母が大橋に着いたとの連絡が入り、
心が安らいだことを思い出します。

留守中の折目さんと有里のことが不安だったのです。
母が世話をしてくれるということで、ようやく安らからに
出産を迎える気持ちに なれたのでした。

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