その後における私自身..

大阪・東京の訪問は…
皆さまからありがたい言葉を頂き、
そして、温かなご配慮を頂けました。 それは…
何よりも、夫であった折目さんのお陰なのだ!
と、真から感じることができたものでした。

何よりも折目さんの名誉を汚さぬように…
これからの人生を踏みしめながら、歩いていかねばっ!
そのような思いが、強く私の中に息づいておりました。

親子3名生きる中、肩肘張らざるを得ず…
二人の娘にも
「お父さんに恥ない生き方をしなさいっ! 」
という意味合いの強要をした場面もありました。
 
今となっては、当時幼い我が子たちに、
なんという重荷を負わせたのだろう!?
という悔いもありますが…

父親を失った引け目を覚えてほしくないっ!
また、自分自身も夫のない引け目に怯えたくないっ!

多分にそのような気持ちが強かったのだろうと思います。
必要以上に娘たちには厳しく接し、歩んできました。
それは、世間に向けての私自身の鎧と楯だったのだろう
と、改めて感じています。

時間の許す限りには、折目さんの実家に赴きました。
彼の両親は、殊の外・・娘たちを可愛がってくれました。
それこそも、本当に言葉に尽くせない感謝の限りです。

「折目家もたった5人になったなぁ!」

と、悲しげに呟いていた義父の顔を未だ忘れられません。